さすがにプロ
2006年 11月 07日
引用文を読んでみて下さい。
社会に出れば必ずイジメに遭う。教育現場に求められるのは「イジメに勝つ知的基礎体力」ではないのか。
この点、賛成です。
11月5日の「少女とは残酷な生き物かも」で
「闇の魔術に対する防衛術」をきちんと身に付けさせなければならないと書きましたが、イジメはあるという前提で考えれば、ここでも「闇の魔術に対する防衛術」が大事ですね。
私は畠山鈴香がそれほどの過去を背負っていたとは知りませんでした。
以下引用です。
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<大きな声では言えないが>世間はイジメる=牧太郎
[ 11月07日 13時03分 ] 毎日新聞
「会ったら殺す!」「秋田の土は二度と踏むんじゃねえぞ」。秋田・連続児童殺害の畠山鈴香被告が高校を卒業する時、クラスメートが贈ったメッセージ。「今までいじめられた分、強くなったべ」と続く。最後には「色々な意味で有名になりそうな人 畠山鈴香 自殺・詐欺・強盗・全国指名手配・変人大賞・女優・殺人・野生化・墓場入りが早そうな人1位」。“イジメの極み”ではないか。恐ろしくなった。
しかし、この時「世間」はイジメ撲滅!には動かなかった。そのくらいのことを言われても当然、とでも思ったのか。結果として、イジメ文集報道は鈴香被告の魔性を興味本位に伝える“ネタの一つ”として片付けられた。
イジメが原因で子供たちが自殺した。陰湿なイジメの実態が明らかになり「世間」が動いた。良かった。
でも、そのうちにイジメ報道が「新しいイジメ」になっているような気がしてならなくなったのだ。教師が悪い、校長が悪い、教育委員会が悪いの大合唱。確かに落ち度はある。校長が「真相」を隠し保身に動いた面もあるだろう。だが「イジメが原因」と認めると犯人捜しが始まり「二次災害的な自殺」が起こることも心配だ。イジメの張本人ではない心優しい子供が「イジメを傍観したこと」を苦に自殺することだってありえる。
「世間」は教育現場に過大な要求を突きつけてはいないか。荒れる教室、受験戦争、イジメ。教師が一人一人の子供たちの「心の動き」を完全に把握する余裕はない。
すべての思想が万能ではないように、民主主義も封建主義よりベターではあるが、限界もある。それは「多数決」が前提の思想だからだ。人々は意識して(無意識でも)「多数」に加わろうとする。加わって多数の価値観で権利を主張し「少数」を攻撃する。議論とイジメは紙一重。世間(=多数)は常にイジメの見えざる誘因になっている。
社会に出れば必ずイジメに遭う。教育現場に求められるのは「イジメに勝つ知的基礎体力」ではないのか。
交通事故死が年間1万人を超えた時「交通戦争」という言葉が出来た。自殺者が年間3万人を超えている。給与格差のイジメ、リストラというイジメ、「取り立て」のイジメ、反シングルマザーのイジメ。子供たちが「イジメはなくならない」と断言するのは、大人の「イジメ自殺戦争」を知っているからだ。(専門編集委員)
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